| Q : 舞踏を始めたきっかけはどのようなものでしたか? |
| 学生だった1970年頃、芝居に関心を持つようになりました。当時は旧来の演劇の枠組みが崩れ、混沌としていた時代。役者の肉体が注目される一方で、小劇場という空間にスポットが当てられました。その後、笠井叡さんの『丘の麓』という舞台を観て、舞踏の持つ劇薬のような混沌に強く引かれた。人間存在の深いところに斬りつけてくる力を感じたんです。それが芝居から舞踏へ転身したきっかけでした。 |
| Q : 言葉を捨てて肉体表現を選んだということでしょうか? |
| そうではなく、舞踏は肉体を使って言葉そのものを捉え直す手段です。すでにある言葉をどう使うかよりも、言葉がどういうところから生まれてくるのかが私の関心事でした。肉体という溶鉱炉に言葉を投げ込んで、ぎりぎりのところで再生してくる言葉をつかみたかった。私は舞踏を言葉との戦いだと考えているんです。美しい肉体だとか、素晴らしいテクニックといったものは、いわばおまけの要素にすぎません。
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| Q : 原田さんの舞踏をあえてカテゴライズすれば、前衛舞踏というジャンルですね? |
| その中でも私が取り組んでいるのは即興舞踏です。即興舞踏には、振り付けも段取りもまったくありません。同じ舞台は二度とできない。舞踏を通じてその場で瞬間的に空間を組み立て、次にそれを破壊していく。そのスリリングさこそが舞踏の醍醐味だと思います。 |
| Q : 本番へ向けての練習もしないのですか? |
| しません。日頃から肉体訓練もしないし、筋肉を鍛えることもしない。一方で、酒や煙草などの不摂生は全部やります。例えばバレエはより高く跳ぶための訓練をするし、そうするための肉体を作りますね。一方、舞踏はありのままの肉体を使うんです。ただし、舞踏は肉体の芸術というより精神の芸術ですから、本番へ向けて精神を研ぎ澄ませる作業は不可欠です。人の言葉に耳を澄ませ、風景を感じ取る。日頃の自分を客観的に観察する。そういう作業が舞台の本番で生きてくるんです。 |
| Q : 94年には、東京で主宰していた『青龍會』を福岡で再結成されました。後進の指導にも当たっていらっしゃるのですか? |
| 東京の青龍會は私と同年代の仲間で結成していましたが、今の青龍會は20代の若者が大半で、いわば私の子供の世代。そもそも舞踏というのはメソッドとして体系化するものではないですから、私は何も教えないし、稽古をつけることもしません。彼らには、ただ私を見ろ、私がどういうふうに一つの舞台を作るのかを見ることが勉強なんだ、と言っています。ですから後進の指導という意識はない。むしろ若い人の肉体から、新しい時代の要請を感じたいわけで、こちらが若い人から学んでいるところです。 |
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はらだ のぶお
1949年福岡県生まれ。早稲田大学在学中に劇団「自由舞台」で演出を手がける。笠井叡の「丘の麓」を観たことをきっかけに舞踏に転身。舞踏結社「天使館」に79年の解散時まで参加。80年から84年まで舞踏結社「青龍會」を主宰。同年福岡に帰郷し、94年に福岡で「青龍會」を結成。2000年2月『夢の浮橋』、4月『象の乳房』、6月『風の鬣』、8月『ノワーズ─響きと怒り─』を上演。 |
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