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[常設展の魅力再発見/福岡市博物館] |
| 中世博多の交易史を積む「宝船」 |
| 1975年、韓国新安沖。その船は海底での長い眠りから覚め、約650年前の中世の輝かしい貿易の歴史を語り始めた。 底引網漁に掛かった数点の見事な陶磁器から発見に至った沈没船は、早い潮流と視界が悪い中、水深約30mの海底からようやく引き上げられた。船は上部こそ失われていたが、泥の中に埋もれていた下半分は当時の構造をとどめ、しかも膨大な量の超高級品の積み荷まで残っていた。船は鎌倉時代後期の貿易船であることが分かったが、引き上げた学者たちの驚きは、いかばかりだろう。 |
![]() photo by GONDO MAKOTO |
| まず沈没船自体が貴重な考古学資料であった。船が原形をとどめた姿で発見されることは希である。船底はV字型で、波を切って進む。外版は板を重ねた“よろい貼り”、船倉は7つの隔壁で仕切られ、かりに1室が破損しても他の部分へ漏水しにくい構造だ。帆は2本、速度も出て安定感もある。日本の遣唐使船とは異なり、明らかに中国の高度な技術で造られた船だった。韓国で復元した結果、長さ約30m、最大幅約9.4m、200t級の船であることが分かった。 さらに、引き上げられた積み荷がすごい。陶磁器、金属器、木・漆・石製品、薬材、香木、銅銭など、いずれも中国製の超高級品ばかり。中でも度胆を抜いたのは、膨大な中国陶磁器(青磁9842点、白磁類4926点、天目等568点、陶器1989点)と大量の銅銭(約800万枚、約28t)だ。陶磁器は皿や碗、花瓶、香炉など細工や絵付けの見事なものばかりで、今なら重要文化財級か。銅銭は当時、日本では作っておらず中国からの輸入物が多く出回っており、28tも運んだ理由が分かる。まさに、お宝を積んだ「宝船」だった。 そして出土品に付いていた「木簡(荷札)」が、船の詳細を明らかにした。それには「東福寺、釣寂庵(博多承天寺塔頭)、筥崎」「至治参年(1323)」などの文字が残っていた。つまり沈没した船は、京都の東福寺がチャーターし、博多承天寺(東福寺末寺)などが加わり中国から超高級品を輸入する“日元貿易”船で、慶元(寧波)を発ち博多に向かう途中嵐に遭い、船団の1艚が新安沖に流され、沈没した…ということらしい。 なぜ寺社が貿易を…? 実は東福寺は火災に遭い、再建の資金調達が目的だったようだ。当時、朝廷や幕府に許可を得て行う「寺社造営料唐船」は珍しくなく、一回の派遣で何と100倍近い利益が得られた。しかも「至治参年(1323)」といえば文永(1274)・弘安(1281)二度の元寇の後。日元両国が政治的には対立した時代でも、巨万の利を生む貿易や禅僧の渡航など、民間レベルの経済・文化交流は盛んに行われていたのである。 |
![]() ![]() 上/新安沈没船模型 原資料:韓国国立中央博物館蔵 下/沈没船想像図 福岡市博物館所蔵 著作権保持者に無断での 転載・二次使用を禁じます |
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