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「披く」とは能楽師がある演目を初めて演ずることをいう。能楽師・森本哲郎さんは、故父・森本司郎氏の三回忌追善能で『道成寺』を披くこととなった。『道成寺』という演目を披くことは能楽師の修行の課程で今までの修業の集大成、あるいは卒業試験などと言われ、格別な意味あいを持っている。『道成寺』といえば大きな鐘を舞台に吊り下げ、その鐘に飛び込んでいくという〈鐘入り〉の演出が有名で、かなり難易度の高い演技と考えてしまうが、実際に時間をかけて稽古を積むのは〈鐘入り〉ではない。
「稽古の8割は乱拍子なんです。30分間ひとりで舞い続ける、きわめて静かなものです。舞うほうもしんどいのですが、お客さんへも極度に集中力を要求される場面なのではないでしょうか」ちょうど、ラヴェルの「ボレロ」を思いおこしてみるといいかもしれない。同じモチーフがくりかえし、くりかえし演奏され、聴衆のほうも、もう限界だというタイミングで曲想が急展開する。「道成寺」も〈乱拍子〉のあと、劇的に変化する。
「極めて静かな乱拍子が30分間続き、早業のような舞いに変わり、気分を高めてその頂点で鐘入りとなるので、鐘入りのダイナミックな所作がひきたつわけです」。森本さんは『道成寺』の演出の妙を語る。
「演能中は、わずかな気のゆるみも許されません。だから2時間ずうっと集中力が発揮されなくてはいけないんです。その集中力の高まりは、能面をつけた時から始まるのだと思います。衣裳を完璧につけ、鏡の前に座り、演じる直前に能面をつけるんです。その瞬間に役になりきらなくちゃいけないのです」
能面をつけると視野は圧倒的に狭くなるという。足下はほとんど見えないので目付柱を見当にして舞う。『道成寺』のように緩急が激しく、しかも〈鐘入り〉のような極めつけの演出がある曲では、とりわけ集中力が要求される。『道成寺』が能楽師の修業の集大成といわれるゆえんがここにあるのかもしれない。
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