財団機関誌 季刊 wa

アジア芸術の潮流
アジア演劇の新しい地平を探る 「リア」の試み


● 鳴り止まぬ喝采とカーテンコール

 今年の1月22日と23日の2日間、香港芸術祭で一つの演劇作品が上演された。題名は「リア」。国際交流基金アジアセンターが、インドネシア、シンガポール、タイ、中国、日本、マレーシアのスタッフ・キャストを集めて制作した作品だ。3回行われた公演のうち、夜の2回はいずれも入場券が売り切れ。欧米の作品が中心の香港芸術祭で、アジアの作品がこれだけ観客を集めたのは珍しいことだ。

 もうひとつ、珍しいことがあった。香港では普通、芝居が終わっても客席から拍手が送られることは滅多にない。出来の悪い作品でも芝居が終わると必ず拍手が送られる日本とは事情が異なるのだ。それが、この芝居に関しては終演後も喝采が鳴り止まず、カーテンコールを2度もやることになった。

 97年に東京、大阪、福岡で初演されたこの作品は、海外でも大きな注目を集め、各国の演劇フェスティバルから招待を受けた。今回は東南アジアとオーストラリアを巡演しているが、今年6月からはヨーロッパ公演もほぼ決定している。香港公演を終え、次の公演地であるシンガポールに滞在していたプロデューサーの畠由紀氏に話を聞いた。

 「これまで私たちは完成されたアジアの演劇作品を日本に紹介してきましたが、今や演劇人同士の国際的な交流が進み、演劇を取り巻く環境は大きく変化しています。そこで今度は、アジアのアーチストたちが共同で演劇を新たに作っていく作業をし、その中から新しいアジア演劇の方向性を提示してみたいと考えたんです」

 この段階で畠氏にはある題材が浮かんでいた。シェイクスピア。西洋演劇の頂点といえる戯曲に、東洋のアーチストたちが挑むという構想だ。畠氏から依頼を受けたシンガポールの若手演出家、オン・ケンセン氏が選んだ題材は「リア王」だった。脚本を担当したのは、岸田戯曲賞や紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞した現代戯曲の第一人者、岸田理生氏。執筆に当たり、彼女は考えた。

 「リア王といっても、主人公が王様である必然性は、少なくとも自分にはなかった。むしろ〈老いてからの選択肢を間違えた一人の老人〉として、リアという人物を描きたい」

 こうして、「リア」という演劇がスタートした。

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● 六カ国の言語が交錯する舞台空間

 集められたスタッフ・役者陣はまさに多彩。リアは能の梅若猶彦、長女は京劇の江其虎と、伝統演劇の旗手が主役をつとめる一方、人気俳優の片桐はいりをはじめ、タイ現代舞踊家やインドネシア、シンガポール、マレーシアの実力派俳優が脇を固める。音楽はシンガポールのマーク・チャンとインドネシア現代ガムラン音楽の第一人者ラハユ・スパンガが主に担当し、日本の琵琶の名手・半田淳子らが加わっている。

 6カ国の出演者は、なんと各自の母国語で台詞をしゃべる。つまり、日本語、中国語、タイ語、マレー語などが舞台上で交錯し、多言語の空間を形成していくのだ。同じ日本語でも、梅若は能の伝統的な発声で、片桐は現代の発声で台詞を語る。国の違い、ジャンルの違い、伝統と現代の違い――それぞれのアーチストが、異なるバックグラウンドを背負って「リア」という演劇に集結したことになる。

 舞台の脇には字幕が流され、観客の理解を助ける。「劇作家という名の観客としていえば」と、岸田氏はいう。「それぞれの母国語を心地よい“音”として聴き、意味は字幕で知るという形で楽しむことができるのではないかと思っています」


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写真提供/ 国際交流基金アジアセンター

● 父殺しと救済と

「リア王」は、老王リアが3人の娘のうち長女と次女の甘言を信じたが、裏切りにあって放逐され、三女の助けも空しく狂乱の果てに悶死するという物語。岸田氏はこの原作を大胆に解体し、<娘による父殺し>の物語として再構築した。

 「リアの戯曲の中では、登場人物は誰も固有の名前を持っていません。ただ、老人、長女、家来、忠義者という役割があるのみです。こうすることで、特殊な物語の中の話ではなく、日常で起こっている問題として観客に受けとめて欲しかった」

 物語の主人公は、父を殺す長女。彼女は自己を回復するために3つの殺人を犯す。妹を殺し、愛し合った家来を殺し、最後に父を殺す。それは岸田氏が従来の作品で追い求めてきたテーマ――虐げられてきた女性が自己を発見し、復権させる――の延長線上にある物語といっていい。だが、それでも自己回復できなかった長女は、ラストシーンで救済を求める。最後の台詞は
うしろの正面、誰かいる
うしろの正面、だあれ。

 「この芝居では、最後の台詞を観客に問いかけたかった。うしろの正面には、誰か救済者がいるだろう、きっとみんなそれぞれの救済者を持っているはず、と」
 それが、岸田氏がこの脚本に込めたメッセージである。古典と前衛、西洋と東洋、伝統と現在。それらを完成された様式美の中で融合したこの作品が、新しいアジアの演劇シーンを切り開いたのは間違いない。

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