6月3日、我が国初の公設民営劇場、博多座の初日が開いた。中村鴈治郎・尾上菊五郎・市川團十郎という大看板に市川左團次・中村時蔵を加えた豪華メンバーで、昼の部「芦屋道満大内鑑」「勧進帳」「與話情浮名横櫛」、夜の部「恋湊博多諷」「京鹿子娘道成寺」「弁天娘女男白浪」と、人気演目が6本並んだ。
出来はいずれも上々。しかし博多座の船出にふさわしい演目を一つ選ぶとなれば、夜の部一番目「恋湊博多諷」ということになろう。御当地狂言という理由からではない。回り舞台や花道はじめ、歌舞伎独自の舞台機構をフルに使って行われる演目だからである。特に序幕に登場する巨大な元船の大道具は、1か月興行を行う博多座ならでは。人手・費用・保管場所・移動手段等を考えると、多目的ホールで一日限り行われる従来の巡業で、この演目を出すのは絶対に不可能だ。
幕が開く。正面には浅葱幕がおりていて、その向こうは見えない。客をじらしておいて、チョンという柝の音とともに浅葱幕を切って落とすと、いきなり舞台いっぱいに元船が姿をあらわす。大道具の見事さを効果的に見せる演出だ。元船の四方は大海原である。浪布は、舞台面はもちろん花道にまで敷かれている。
筑前博多に向かう元船はいま下関沖合にある。船上で船頭達と酒盛りを始める毛剃九右衛門(市川團十郎)は赤い縮れ毛に長崎訛りで、手に持ったギヤマンのコップがなにやらいわくありげだ。乗り合わせた京の商人小松屋宗七(中村鴈治郎)が酒盛りに加わる。商用にかこつけて、博多柳町の遊女小女郎(中村扇雀)に逢いに行く途上という宗七。逢瀬のことのみ気にかかる宗七に毛剃の正体が知れようはずもない。
やがて夜が更け、皆が寝静まったころ、異国の品々を山積みにした一艘の伝馬船が横付けされる。宗七が乗り込んだのは、毛剃一味による抜荷(密貿易)の船だったのである。そして偶然荷揚げの現場を目撃してしまった宗七は、海中に投げ込まれることになる。
ややあって、観客に側面を見せていた元船はゆっくりまわり始める。舳先には蝦夷錦の衣裳に身を包んだ毛剃がすっくと立ち、前へ突きだした両手を大きく輪を描くようにして腰にもってきて、キッと睨んで見得をする。いわゆる「汐見の見得」である。團十郎の大きさを印象づける幕切れだ。さらに幕が引かれたあと、幕外に小舟が一艘流れて来て、花道の浪布をすべりはじめる。乗っているのは一命を取りとめた宗七である。このとき観客は大海原に見立てられ、毛剃への復讐を誓う宗七の小舟は、その波にもまれながら揚幕へと吸い込まれて行く。
二幕目は一変して柳町奥田屋の場。京の島原でも江戸の吉原でもない、博多という地方都市の遊郭の面影がそれとなくただよう。物貰いと見まがう姿で小女郎に逢いに来た宗七は、ここで毛剃とばったり出くわし、命をとられるかわりに抜荷一味に入ることになるのだが、肝心なのはそこに至る経過である。
奥田屋の表座敷から舞台が回ると、髪梳きの場になる。小女郎が宗七の髪を結いなおすのは、情事が終わったことを示す記号だ。何でもないようだが、この一場が入ることで、次の奥座敷の場の意味は随分違ったものになる。さきに触れたように、毛剃と再会した宗七は、命をとられるか、一味に入るかの二者択一を迫られる。迷う宗七。このとき、小女郎が宗七の懐に手を入れて「おお、この汗わいの」と、鼻紙で汗を拭いてやる。小女郎は宗七とともに悩んでいるのでは決してない。地獄に墜ちても添いましょうというのだ。この瞬間、宗七の身体に情事の感覚が蘇ってきて、正義は駆逐される。女の論理の勝利だ。
通称を「毛剃」ということからもわかるとおり、これは本来毛剃の芝居である。だが、こうした男女の心の機微を丁寧に演じることで、宗七・小女郎の芝居にも成りえることを鴈治郎・扇雀親子は示したのだ。
続く演目は「娘道成寺」。鴈治郎は、いくつかの踊りを省略して45分で踊りきった。「恋湊博多諷」が2時間近くかかったのとは対照的だ。女形舞踊の大曲を切りつめても、1日の狂言のバランスを考える。一座をひっぱる座頭役者の見識といわざるをえない。
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