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青柳本(彩色)
蒙古襲来絵詞模本(絵2部分)
福岡市博物館所蔵 |
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| ■国は戦争、民間は貿易■ |
「貢物をもってくるように」─大帝国モンゴル(元)の皇帝フビライの要求に、断固、断り続けた日本に対し、怒った元が大軍を派兵したのが、文永の役(文永11年/1274)と弘安の役(弘安4年/1281)である。文永の役では対馬、壱岐を襲撃、10月20日博多湾に進攻。元軍は今津、百道一帯に上陸、鳥飼や別府、赤坂まで攻め込むが、翌日にはなぜか博多湾から姿を消す。
南宋の兵も含め14万の大軍を率いて再度襲来した弘安の役でも、6月6日から博多や鷹島などで断続的に激しい戦闘が続いたが、約1カ月後の夜半、鷹島沖にいた元の軍船は暴風雨で大破した。
各地の闘いは悲惨で、壱岐では住民が惨殺された話も伝わるが、意外なことに国同士が戦争状態でも、大陸との貿易や交流は続いていたのである。しかも弘安の役の前の1279年、元は南宋を亡ぼしており、弘安の役では南宋の兵も元軍としてかり出されているにもかかわらず…。
博多からの輸出品は刀や扇などの工芸品、大陸からの輸入品は宋銭、陶磁器、絹織物など。物資は贅沢品の類で、売り捌き先は推して知るべし。1回の渡航貿易で巨万の富が入るとなれば、戦争どころではなかったのかもしれない。元も「貿易によるアガリが入ればよい」とでも考えていたのだろうか。20世紀に起きた世界大戦では、敵国と貿易・交流するなど到底考えられないことである。 |
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| ■福岡を描いた最古の絵画■ |
その元冦の様子を伝えるのが『蒙古襲来絵詞』で、これは1923年頃、肥後の御家人竹崎季長が元冦での自分の活躍を描かせたもの。季長が鳥飼で元軍と闘う様をはじめ、生松原の防塁や筥崎宮なども描かれているが、実はこれが現存する「福岡を描いた最古の絵画史料」(原史料、宮内庁所蔵。レプリカを福岡市博物館、所蔵)なのである。
『絵詞』は上下巻あり、21場面の絵と16場面の詞からなる。原本は宮内庁にあるが、それを写した模本だけで現在約50種確認されている。中でもこの筑前の国学者青柳種信(1765〜1835)が熊本藩の木原元象・小山川景から贈られた「模本」には、文政末期に新発見された貴重な「博多の場面」が含まれていた。この1枚の発見で絵詞は全場面が出そろい、原本に関する通説をも覆す発見となった。
生々しい戦闘の様子を描いた『蒙古襲来絵詞』。その背後には、したたかに交易した貿易商人らの姿も、その『絵詞』を模写した後世の人びとの姿も浮かび上がってくる。 |