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現実線を切る主智的表情/古賀春江
1931
画布に油彩
112.3×145.8cm
西日本新聞社所蔵
福岡市美術館寄託 |
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古賀春江は久留米市寺町の寺の長男として生まれた。幼名は亀雄。中学を3年で中退し、上京。太平洋画会研究所や日本水彩画会研究所に学んだ。彼の画風はキュビズムからクレー風、さらにシュールレアリスムへと変遷し「カメレオンの変貌」とさえ評された。1931年の二科展には本作品の他に「仮説の定理」「朧ろなる時間の直線」「感傷の生理に就いて」の4作品が出品され、日本におけるシュールレアリスム台頭期を代表する作品として重要視される。本作品を除く3点は現在、所在不明となっている。本作品は西日本新聞社の寄託によるもので、福岡市美術館所蔵としては「二階より」※(1922年)、「生誕」(1924年)がある。※「二階より」は個人の寄託 |
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1931年(昭和6)の二科展で、この作品を含む古賀の作品4点は東京府美術館、第9室に展示された。第9室はシュールレアリスムの部屋といわれ、他に中村頸大郎、高井眞二、東郷青児らの作品があり、評価の分かれる新傾向の作品を押し込んだかたちだ。そこに集まった作家たちは「九室会」を組織することになる。
当時の美術評論家はこぞって古賀の作品を手厳しく批判した。「題名の意味が分からない以上に、本物の絵がより以上わからない」「じつに他愛のない愚かしき白痴の夢である」など、その表現は露骨だ。にもかかわらずどの評論家も必ずと言っていいほど取り上げて論じているところを見ると、古賀の作品が気になってしかたがないのだろう。 写実的なのに妙に現実感がない。馬に乗り障害物を越えるロボットに機関銃の照準を合わせ、今まさに引き金を引こうとする乗馬服の女性。緊迫した内容なのにどこか空々しい。馬の荒い息づかいや蹄の音も聞こえない静寂の世界だ。人や馬、ロボットがリアルなのに対し、それ以外の草地や障害物などがまるで手を抜いたように平面的に描かれていることも気になる。
思想的なものが見い出せないわけではない。プロレタリアートの闘争が盛んになっていく当時の時代背景から、ロボットを資本主義の象徴とする見方もある。だが、そのことよりも興味深いのは、作品の主要な構成要素であるロボット、馬、人物、機関銃がすべて既成のイメージの引用であるということだ。引用元の多くは「アサヒグラフ」に掲載された写真である。「海外ニュース」や「コドモクラブ」といった記事に挿入された写真を、古賀はほとんど変形させることなく、まるで写真を切り抜いてコラージュするように画布に配置し、描いている。
1930年前後、古賀はこのような制作方法を盛んに行っている。他の作品に登場する潜水艦や高層ビル、飛行船といったモチーフはいずれも当時の科学雑誌などに掲載された図版からの引用だ。日本人のほとんどが写真でしか見ることのできない世界の先端を行く科学技術のイメージを、古賀はそのままま自らの絵画の構成要素として写し取った。本作品の機関銃は、1928年2月22日発行「アサヒグラフ」の海外ニュースで紹介されたアメリカの新型自動ライフル銃と推測されている。ライオット・ガンといい、軍用機関銃と同等の性能を持つ武器だ。
当時、盛んに発行されたグラフ雑誌との比較ができるほどのイメージの引用は、あきらかに意図的であり、その制作は20世紀特有のメディアと積極的な関わりをもっていたと言えるだろう。SF的な連想も抱かせるこれらの作品は、70年を経た今でも不思議に古さを感じさせない。 |