財団機関誌 季刊 wa
[クローズアップ・ミュージアム 福岡市博物館]
『金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおきょう)』
国を挙げての異国降伏、天皇みずから祈願の写経
 
 
 福岡市東区、筥崎八幡宮の社殿正面に「敵國降伏(てきこくごうぶく)」と書かれた大きな額が掛かっている。この字は、時の亀山上皇の御宸筆(しんぴつ)によるものと伝えられており、外敵の撃退を祈願したものだ。
 13世紀、大陸から押し寄せる蒙古軍の脅威を前に、鎌倉幕府と朝廷が取った防衛策は、軍事力と国をあげての「神仏への祈祷」であった。11月に開かれる『蒙古襲来と博多〜北条時宗とその時代展』では、当時の神仏祈祷を物語る興味深い文書等が多数展示される。
 蒙古襲来は二度(1274年 文永の役、1281年 弘安の役)に及ぶが、文永の役の直後、幕府は御家人に異国警固番役を命じ、1278年には博多湾沿い約20キロに亘って延々と「防塁」を築かせている。そんな国防策と同等に行われていたのが全国規模での「神仏祈祷」なのである。現代人にはいささか理解しがたいが、当時は祈祷も一つの戦闘であり、つまりは「蒙古の神と日本の神の戦い」でもあった。
 国防策として、朝廷や幕府、天皇から社寺まで、まさに国家的な祈願が続いた。『金光明最勝王経』もその一つで、伏見天皇(在位1287〜98)が側近の大臣らと共に写経し、石清水八幡宮に奉納したものだ。

筥崎八幡宮の社殿正面の「敵國降伏」の扁額の元になった文字
(筥崎宮蔵)
 全10巻あり、第1帖は伏見天皇の宸筆(直筆)。10巻目の奥書には、「異国賊名を聞かず」という一文があり、元の再襲来を防ぐための経典奉納と分かる。石清水八幡宮は武神を祀っており、奉納した『金光明最勝王経』は、仁王経、法華経とともに国家鎮護の3部経といわれる。
 この経典の奉納は1290年で弘安の役の9年後だが、まだ元冦の恐怖は薄れていない。それどころか1292年、高麗から文書が届いた時も全国で異国降伏祈願を行い、翌年には警固の現場である「生の松原に熊野神を勧請(かんじょう)」している。
 史料によれば、幕府による祈祷は1311年まで行われたが、同年6月以降、それに関する史料は見あたらない。延々40年余に亘る「降伏祈願」。元冦後、武士が幕府に恩賞を求めたように、社寺も同様に請求、領地を得たのである。
 
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