財団機関誌 季刊 wa
[特集]福岡文学の新しい地平
 
 「福岡の街というのは、古代から中世、近世、そして近現代に至るまで、いろいろな人間が入り込んでくる場所なんです」と深野氏は切り出した。古くから貿易都市として栄えた福岡は、モノだけでなく人も行き交う土地だった。人々はダイナミックに、あるいは無秩序に、福岡という都市を行き来してきた。「福岡文学のキーワードは“関わり”。その関わりが時間的にも空間的にも層を成しているという点で、“関わりの多層性”と私は呼んでいます」
 ある作家群を分類する場合には、いくつかの切り口が考えられるが、人々がダイナミックに行き来してきた福岡という都市ならではの分類方法がある。福岡との関わりのあり方によって作家をいくつかのタイプに分けるという方法だ。福岡に生まれ出郷した【出自型】、福岡で生涯を過ごした【土着型】、他郷から福岡へ移住した【定着型】、一時期を福岡で過ごした【滞在型】、福岡の文学活動に参画した【参画型】、一時的に来福して文学的足跡を残した【通過型】である。「さまざまな作家が多様な関わり方を持つことで、福岡という文学的土壌はきわめてきらびやかな色彩を獲得しました。まるで光を乱反射させるミラーボールのような、豊かな土壌。それこそが福岡文学の特性にほかならないのです」と深野氏は言う。
 
 福岡生まれの作家は数多いが、特に「戦後派」と呼ばれ、戦後の日本文学をリードしてきた作家の中には福岡出身者が多く見られる。直木賞作家の梅崎春生、アヴァンギャルド芸術を提唱した評論家の花田清輝、そして『風土』『廃市』『忘却の河』などで死後も根強いファンを持つ福永武彦である。大正から昭和にかけて活躍した宇野浩二も福岡市生まれだ。大正8年に発表した『蔵の中』で新進作家として注目され、続いて『苦の世界』、『子を貸し屋』などで作家としての地位を確立。その独特の文体は饒舌体と呼ばれた。小説のためなら己も人も犠牲にしてかまわないという姿勢から、付いた称号が“文学の鬼”。福岡市総合図書館には、宇野浩二の写真約500点をはじめ原稿や愛用の時計などが収蔵されている。

 現代に目を移すと、意外に知られていないがベストセラー作家の赤川次郎が福岡の出身だ。また、俳優の米倉斉加年は絵本作家としても独特の才能を発揮している。完成までに23年余を費やしたという大作『神聖喜劇』で知られる大西巨人、また詩人の那珂太郎も福岡出身である。岡松和夫は昭和50年に『志賀島』で芥川賞を受賞した。博多で暮らす2人の少年を主人公に、戦争末期から終戦直後の時代を描いた作品である。物語のラスト、母の死や失明などさまざまな体験を経た2人が、少年時代に眺めた志賀島をふたたび見に行くシーンが感動的だ。
 
 短歌の持田勝穂は福岡を題材とした歌をさかんに詠んでいる。一方、俳句の世界では、自由律俳句の第一人者である吉岡禅寺洞の存在が大きい。今泉公園には吉岡の名作を刻んだ句碑が建てられている。現代詩の芥川賞と呼ばれるH氏賞を受賞した一丸章も土着型に分類される。
 長く九州の文壇で重きをなしたのが原田種夫である。原田は福岡詩社に参加し九州詩壇の中心的詩人として活躍。昭和13年に創刊された「九州文学」の同人となり、小説にも筆をそめるようになった。彼の代表作『風塵』(昭和8年)には、当時の中洲の様子が活写されていて興味深い。この作品には「ウーピー」という喫茶店が登場するが、これはかつて中洲にあった喫茶店「ブラジレイロ」がモデルとされている。福岡の文化人たちが集まり、熱い議論を交わしたサロン的な場所で、夢野久作も常連の一人だった。代表作の『ドグラ・マグラ』は、九州大学医学部精神科に入院している記憶喪失の男が自分探しをする物語。また、『押絵の奇跡』に出てくる箱崎宮の絵馬堂は現在も残されている。
 
 他郷から福岡へ移住した作家といえば、真っ先に思い浮かぶのが檀一雄。代表作の一つ『リツ子その愛』は、最愛の妻リツ子と一人息子太郎との生活を描いた作品だ。「主人公である檀一雄が息子の太郎を肩車しながら小田の海岸を歩くシーンは実に印象的でした」と深野氏。この物語は続編の『リツ子その死』へと引き継がれるが、その後、檀が亡くなるまで能古島に住んでいたことはあまりにも有名だ。
 現代では、時代小説の白石一郎と杉本章子、ミステリー小説の夏樹静子、恋愛小説の高樹のぶ子。第一線で活躍する人気作家が定着型に集中している。「幸いなことに、現在の福岡には現役で活動している作家が何人もいる。こういう都市は他にそうありません。この“活動の現在性”も福岡文学の大きな特徴といえるでしょう」と深野さんは分析する。H氏賞詩人の龍秀美、小説家の森崎和江という存在も大きい。
 
 「滞在型では九州大学の学生だった島尾敏雄や庄野潤三がいます。島尾の初期の長編『贋学生』には当時の九大の様子が実に生き生きと描かれている。当時の学生気質を描いた文学の中では一番だと思っています」(深野氏)
 そのほか、文芸誌「エニグマ」を主宰した久保猪之吉・より江夫妻、歌人の柳原白蓮、戯曲『出家とその弟子』で知られる倉田百三、詩人で評論家の谷川雁なども滞在型に挙げられる。
 参画型では『糞尿譚』で芥川賞を受賞し、「九州文学」の発行で北九州市の若松から通い続けた火野葦平がいる。この小説が完成したときの様子を原田種夫はこう降り返っている。
「火野は別室で小説の終わりを書き続けていましたが、やっと書きあげた小説『糞尿譚』の原稿を手に持って『日本一臭い小説ができたけ、終わりのところを聞いちくれ』と言って、糞尿を全身にあびて、彦太郎が黄金の鬼と化すところを朗読しました。みんなゲラゲラ笑って拍手大喝采・・・」(博多に強くなろうシリーズ「福岡と文学」福岡シティ銀行刊) なんともユーモラスな場面である。俳句の野見山朱鳥も参画型に分類できるし、現在では、特異な作風で知られる村田喜代子が文学講座の指導で中間市から福岡まで定期的に通い続けている。
 通過型となると、これに該当する作家は枚挙にいとまがない。松本清張の『点と線』では香椎の海岸で死体が発見されたことがストーリーの出発点になっているし、五木寛之の『戒厳令の夜』は冒頭に中洲のバーの場面が描かれる。遠藤周作の『海と毒薬』では福岡の「黒い海」が作品の中で象徴的な役割を果たしている。

 これら錚々たる顔ぶれの作家と作品群を見ると、深野さんのいう「ミラーボールのような」福岡文学の多様性がよく分かる。深野さんは文学館構想に関しても次のように語っている。「これから作られる文学館は、文学のジャンルや時間・地域を広く捉えた、“視野の広い文学館”が望ましい。また、利用に際してはパソコン設備を充実させて検索性を高める、一般の人が企画に参加できるなどの機能があれば、福岡・博多の文学への関心度は非常に高まっていくのではないでしょうか」
 

ふかのおさむ
地域文化研究家。1938年生まれ。60年フクニチ新聞入社。文化部長、論説委員などを歴任。九州造形短期大学非常勤講師。著書に『肥前皿山有田郷』(泰流社)、『焼酎しらなみ軍記』(創思社出版)。
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